10時45分。佐賀駅にはすでに連れの友人が待っていた。
まずは特急で鳥栖まで移動。鳥栖で1時間ほど時間をつぶしたあと、明けて2月26日午前0時24分、実質的に最初のランナーとなる「ドリームつばめ」が入ってきた。「つばめレディ」(注1)の出迎えはなく、ちょっと寂しいスタートだが、787系(つばめ型車両)はこれがはじめてである。登場時からずっと憧れていたが、ようやく今回実現した。友人に感謝。
この「ドリームつばめ」での席は、トップキャビン(運転室すぐ後ろの個室)だったが、今回は結果的によくなかった。運転席からEB装置解除のための警笛の音がしょっちゅう聞こえる。さらに八代以南の単線区間では、ATSのベルまで加わった。僕はもう夜行列車11回目(注2)だからなんともなかったが、友人のほうはもろに影響を受け、結局終点西鹿児島(現・鹿児島中央)までほとんど一睡もできなかったそうだ。
西鹿児島から指宿(いぶすき)枕崎線でさらに南を目指す。7時54分山川着。4分後に折り返し鹿児島行きとなるので、急いで駅前に出る。ここは日本最南端の有人駅(注3)で、駅前にポールが立っている。ここで記念に友人の写真を撮る。
その後一駅北へ移動し、松元温泉というところで朝風呂とする。先客が1人いていろいろ話しかけられたがほとんど聞き取れず、30分ほどで退散。まだまだ時間があったので1局だけ郵便局に立ち寄ろうとしたらこれが失敗。意外と時間がかかり、快速を1本逃してしまった。しょうがなくたまたま開いていたスーパーで朝食をとり、10時14分発快速「なのはな4号」で鹿児島に戻る。
南の次は北へ。「つばめ12号」で串木野に向かう。これが正真正銘の「つばめ」、レディーも乗っているし、コーヒーもついてくる。30分足らずだが、記念すべき乗車になった。串木野からバスで「ゴールドパーク串木野」へ。軽く場内を見て回る。「マインシャトル」という乗り物と、うず高く詰まれたインゴットぐらいで、他には特に見て回るものはなかった。バスの営業所で300円割引券をもらったが、これがここの苦境を如実に物語っている。(注4)
2時過ぎにみたび鹿児島に戻る。次は市内観光。西郷隆盛の銅像を拝み、鶴丸城跡を見ながら歩き、黎明館(資料館)を回り、城山に登って鹿児島市内を眺め、磯庭園を横切り、桜島に渡ってゴロゴロした溶岩を目にした。最後は市電に乗って締めとした。
翌朝。6時半に起きて駅に向かう。過去に売り切れで食べられなかった念願の「とんこつ弁当」とついにご対面。勇躍「きりしま2号」に乗り込む。待っていた甲斐のあるしっかりした味だった。桜島を”借景”においしく頂く。
途中大部分を居眠りし、気がついたのは宮崎の少し手前。次は「にちりんシーガイア24号」で延岡へ。さらに高千穂鉄道で高千穂を目指す。この鉄道は観光に生き残りをかけているだけあって、要所要所で徐行運転を行う。そうでなくても日之影温泉あたりまでは五ヶ瀬川にそって景色のいい眺めが続き、また車両も常に洗車しているだけあってきれいで、車内整備も行き届いている。
高千穂で1時間半ほど余裕があったので、タクシーで高千穂峡へ。かなり暑い。汗だくになりながら峡谷沿いの遊歩道を歩く。写真で見るような幽玄な景色はみられなかったが、大自然のスケールの大きさを目の当たりにできた。最後に国道の上から見た景色には足が竦んでしまった。
このあともと来た道を延岡へ向かう。帰りは高校生で大混雑だったが、それも日之影温泉までで、あとは普通のローカル列車となった。列車の旅の楽しみの一つに人間ウォッチング(正確にいうと女性ウォッチングか)がある。特に可愛い娘を見つけると、もうそれだけで旅の目的の半分は達成したような気分になる。
延岡市は人口およそ13万人(注5)、あの旭化成の企業城下町である。以前は急用の場合ここの社員は宮崎空港へはヘリで移動していたが、そのヘリが落ちてしまった(1990.9.27)。このことが日豊線の重要性を高め、高速化工事(注6)を促す1つの契機になったように思う。実際、南宮崎では一見してそれとわかるビジネスマン(あるいはウーマン)が大勢乗ってきた。日豊線で見る限り、このあたりのベクトルは完全に南を向いている。そのうち、空港行き特急として分離されるかもしれない。(注7)
そのまま宮崎空港へ向かい、もちろん飛行機に乗ることなくそのまま南宮崎まで戻る。
23時25分に「ドリームにちりん」で南宮崎を発てば、翌朝6時30分には博多である。今度は同じトップキャビンでも最後尾なのでそれほどうるさくなかった。駅のうどんで小腹を満たし、いよいよソニックに乗車である。振り子式電車は初めてだ。今回は少し遅めの電車なのであまり振り子全開のシーンは見られなかったが、それでもグリーン車の一番前にあるパノラマキャビンに座ると、不自然なほど車体が傾いて、それこそ怖いくらいのスピードでカーブに突っ込んでいくのがよくわかった。しかし、制御つき振り子なので、不快な揺れはまったくといっていいほどなかった。
大分でデパート、別府で温泉につかるなどして小刻みに時間をつぶし、「あそ4号」に乗り込む。この旅の最後のハイライト、九州横断である。実質的な初乗車となる185系ディーゼルカーは、やや苦しめのエンジン音を響かせながら、それでも淡々と歩を進めてゆく。車内はポカポカ、景色も途中からは山の中とあって、車内のほとんどが寝入ってしまう。それでも宮地を過ぎ、左に阿蘇山が見える頃になると、みんな目も覚め、少しにぎやかになった。立野でスイッチバックしたあとは、熊本へ一気に駆け下りる。
熊本で駅構内の熊本フレスタ局に410局目の旅行貯金を済ませ、市電に乗り熊本城へ。天守閣を背景に写真を撮って、大急ぎで熊本駅に戻る。このあと「つばめ」、「かもめ」と乗り継ぎ長崎へ。長崎ではバスを乗り間違えたことも響いて、結局稲佐山には登れなかった。しかも皮肉にも、今日はロープウェーの営業時間が短い”冬ダイヤ”の最終日だった…。
この「かもめ44号」が博多行きの最終である。グリーン車の飲み物サービスもない。ハイパーサルーンのグリーン車自体、改造で低サービス化している。しかもカーブの多い長崎線では、ハイパー自慢の高速走行も発揮できない。さらに肥前山口以南が単線の隘路のため、離合のための運転停車が表定速度を押し下げる。実際、長崎に来るときに乗った「かもめ31号」では、4度も運転停車した。すでに線路設備が限界なのだろう。友人とそんな鉄道話に興じていたら、それまで開けていた最後尾の仕切り幕を車掌が閉めてしまった。あの仕切り幕は前部の窓への写りこみを防ぐためのものであり、車掌業務の際に閉める必要があったのか。JRはまだまだソフト面での改革が必要である。
23時2分、佐賀駅到着。最初と最後のランナーはいっしょである。ちょうど丸3日に及んだ、長いようで短かった旅が終わった。
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