2005.8.4〜8.7  愛・地球博と名古屋ローカル3線

8月4日(木)20時54分。ほぼ定刻に新大阪行き夜行快速「ムーンライト九州」(以下、MLQと略)は博多駅を出発した。8両全車指定席。夏休みだが平日ということもあり席に余裕はあるようだ。22時18分門司駅着。機関車交換(注1)のための停車時間は13分設けられているが列車はそのまま下関まで行くようだ。が、発車時刻をすぎても一向に動こうとしない。しばらくして「関門トンネル内で架線事故のため片側一方通行」との車内放送が入る。単線運転のためどうやらしばらく時間がかかりそうだ。結局約30分ほど遅れて列車は関門トンネルへ進入した。
 その後列車は回復運転に努めたようで、遅れは15分ほどに縮まっていた。が、今回は大阪でその15分の待ち合わせで米原行き新快速に乗り換える予定である。気が気ではなかった。朝のラッシュの時間帯に巻き込まれ、じりじりと遅れを増大させる列車。明石発車時点では遅れは20分強に拡大していた。しかしその後の驚異的(?)な運転により、三宮から大阪までの30kmで再び列車は遅れを15分強にまで縮め、大阪駅へすべりこんだ。手元の時計では大阪駅進入6時41分。乗り換え列車と同時刻である。よっしゃ、間に合った。
 が、なんたること。目的とする列車は影も形もなかった。本来なら接続を取るべき米原行き新快速は無情にも乗り換え客を待たずにさっさと発車してしまっていた。まるでMLQという列車が存在していないかのような扱いではないか!どうにも納得できない私は駅員に確認を取った。そこで耳を疑った。「「あかつき」(長崎発京都行き寝台特急列車)の遅れは伝わっておりますがMLQは特に来ておりません」なにー!いまや数分の遅れさえ電光掲示板によって伝えられているというのに、15分以上もの遅れが伝えられていないとは!なんという連携の悪さ、なんという乗客無視。尼崎列車事故もあったのに、いまだJR西は”顧客満足”ということを知らないらしい。つくづく救えない会社である。(注2)
 結局、実質1分まで縮まった遅れは、その後の接続の悪さにより1時間にも拡大してしまった。
 名古屋市内は朝の通勤ラッシュも、そして地下鉄とリニモの乗換駅である藤ヶ丘での混雑も終わっていた。おかげですし詰め覚悟のリニモもゆっくり座って景色と、そして磁気浮上式鉄道ならではの滑らかな走りを堪能することができた。
 


さて、万博である。
 万博会場へ着いたのが11時半ごろ。もう入場口の混雑はすっかり解消していた。まずは軽い荷物検査。ここで友人の忠告どおり、ペットボトルが没収された。そして金属探知機による検査。まるで飛行機にでも乗るような物々しさである。物々しさといえば名古屋駅では改札口で警察官が仁王立ちしていて、周囲ににらみを利かせていたが。

めでたく疑念(?)も晴れ、ようやく入場できた。さて、どこへ行こうか…。
 実は今回、特に入念な準備をすることなく万博に突入していた。私自身、あまり博覧会というものに興味がないし、また財政再建途上でもあったので最初はスルーしようと思っていたが、前述の友人の「日本での本格的な万博は大阪万博以来35年ぶり(注3)だよ」という言葉にほだされ、重い腰をあげたという次第である。なので自分の中の位置づけとしては、35年ぶりのイベントに参加した、という事実があればいいや、将来子供か孫ができたときに「おじいちゃんもあの万博、行ってきたんだぞー。マンモス見てきたんだぞー」って言えればいいや(笑)、てな感じだった。そのため本格的に準備を始めたときには入場予定日前後のパビリオンはすべて予約で埋まっていたし、そもそも仕事のスケジュールのせいで、旅行日程がはっきりしたのが週の初め、というあわただしさ&いい加減さである。結局、往復利用する予定であったMLQの指定席も、行きだけ取れて帰りは取れないまま見切り発車となった。(注4)
 そういうわけで入場した途端、軽い脱力感に見舞われたほどである。

気を取り直し、まずはトヨタ館へ。鉄道の敵、にっくき自動車の帝王になぜ?という感じだが、「ロボットショー」は開催当初から興味があったし、それにライバルの技術はどの辺まで到達しているか、という敵情視察の意味もあった。まずは整理券の配布場所へ。2時間以上の貴重な時間をつぶし、ようやく整理券をゲット。

モリゾーゴンドラ
 手に入れた整理券は15時30分からとやや時間があったので、その間に瀬戸会場へ移動。こちらはパビリオンよりも無料で乗れる「モリゾーゴンドラ」がお目当てだった。定員8人に6人しか乗っていないゴンドラだが、空調などはもちろんないためけっこう暑い。いや、暑いのは天候のせいだけではないかも。目の前に座ったカップルがいちゃついている。こいつらか。ゴンドラの気温&不快指数をはねあげているのは。こやつらほどではないにしろ、会場内はカップル、そして家族連れが多い。1人でうろついている人は非常に少なく、女性の一人旅に至っては皆無である。案内も基本的に複数人数のグループを前提にしている。こういうときほど一人旅の寂しさを感じることはない。今回だけでなく、1週間前の「あそBOY」にしても同じような感じだった。イベントというのは1人で参加するものではない。しみじみそう感じた。
 途中民家の上空を移動する間、プライバシー保護ということで窓が曇って2分ほど景色が見えなくなる。以前、六甲ライナー(神戸)でも見かけた仕組みだ(注5)。「(視界遮断の方法として)煙でも出すのかな」とバカ丸出しの男の代わりに解説がのどもとまで出かかったがグッとこらえた。こんなのときに自分の知識を生かす(吐き出す?)場面がないのがくやしい。
 瀬戸会場では特に見るべきものはなかった。もともと天然記念物のオオタカが会場予定地の海上(かいしょ)の森から見つかり、メイン会場を長久手に譲ったあと瀬戸市の意地で残った感じのこの会場は、国際博覧会というよりも地元の小さな展覧会といった感じである。なんだか流れで瀬戸愛知県館に入ったあと、すぐにゴンドラで長久手会場に取って返す。

八丁味噌アイス\300
味噌味はしなかった。
 気がつくとトヨタ館のロボットショーまで30分もない。入場した北ゲートの近くに郵便局があったのは確認していたが、行ってみるとここは郵便だけしか取り扱っておらず、貯金は西ゲートの方の郵便局だという。とても往復してては間に合わない。残念だが断念せざるを得なかった。

i-unit
 で、ロボットショー。”楽器を吹くロボット”「コンチェロ」はおそらく息(空気の流れ)ではなく電気的に音を出しているんだろうけど、およそそのようには聴こえない。どんな仕組みになっているのか興味が湧く。またホンダの「アシモ」よりスムーズになった二本足歩行ロボットを見ながら、22世紀にドラえもんの世界が実現してもおかしくない、そう感じた。さらに一人用の移動手段、「i-unit」をからめた幻想的なショーが始まった…が、このあたりから記憶が途切れがちに…。何たること、である。が、トヨタの名誉のために言うと眠かったのは見世物がつまらなかったためではない。MLQでの寝不足が原因である。
 次はマンモス。その「グローバルハウス(オレンジホール)」の入場券はあっけないほど簡単に手に入れられた。ハイビジョンの4倍の走査線を誇るという「スーパーハイビジョン」の映像が美しい。しかし肝心の冷凍マンモスは頭部だけしかないためか、思ったよりも小さい。やや距離があるためよく言われるような体毛の様子などはよくわからなかった。さらに展示室前は「動く歩道」によりベルトコンベアーよろしく強制的に運ばれるため、じっくりゆっくり見る暇がない。こんなことならその直前に展示されていた全身復元模型をよく見ておけばよかったと後悔するが後の祭り。ただ、頭部と同時に展示されていた足の部分の肉球(?)の感じは妙にリアルだった。

 

モリゾーが運転!?
 

!?
 
 ここまで今日全く食事を取っていないのに気付き、せっかくなら外国の料理を、とグローバルコモン4(ヨーロッパ)に移動。お目当ての乗り物であるIMTS(Intelligent Multimode Transit System)は、磁気マーカーによる自動運転がウリではあるが、あまり走行はスムーズではなかった。北欧共同館は期待はずれ。もっと自然をアピールしても良かったのに、工業製品や人々の生活の様子が前面に押し出されていた。北欧といえば森と湖とフィヨルド、そしてムーミンでしょう…。続くベルギー館では早くメシを食いたいばっかりに展示内容にはほとんど興味なし。が、併設のレストランはコース料理で2500円。1人で食うにしては高すぎる。さらにすぐ横の「焼きたてワッフル」に並んだが、「1時間待ち」の案内にやる気がうせた。だいたい、並んでるのはまたもやカップルばかりだし。結局、「ヨーロピアン テーブル」という店でナンカレー?を食した。昼食どころか完全に夕食である。
 遠くで雷鳴がとどろいていたかと思うと、しばらくしてどしゃ降りに。が、適当に時間をつぶすうちにほどなくあがった。先ほどIMTSで移動した区間を、今度は歩く。最後は長久手日本館で締めとした。運がいいことに着いてすぐに当日の入場が締め切られた。危なかった。竹の多用による清涼感は感じることができなかったが、世界初という全天球型映像システムではあまりの迫力に少し酔ってしまった。
 これで万博見物は終わり。おみやげを購入し、会場をあとにした。
 

万博八草行きのリニモはかなり混雑したものの、それほど待たされることなく乗り込むことができた。続いて愛知環状鉄道。ところが様子がおかしい。10時をすぎているにもかかわらず、電光掲示板は「20時27分 エキスポシャトル名古屋行き」と表示している。あの雷雲、万博会場ではたいしたことなかったが、どうもJR中央本線沿線に大雨を降らせたようで、その影響で愛環のダイヤも乱れまくっていた。ただ不幸中の幸いで、ちょうど遅れていた件の列車がまもなく出発するという。こうして20時27分発の列車は1時間40分遅れ、ちょうど22時7分発のダイヤで万博八草駅を出発した。
 中央本線もちょうど運転再開したばかり。19時34分発(約3時間遅れ)の快速で東へ向かう。中の乗客は皆一様に疲れきった表情。3時間も待たされれば当然か。
 瑞浪着が22時50分過ぎ。名古屋行き乗り場の電光掲示板は「19時48分 名古屋行き」の表示を出したまま、「本日の列車は終了しました」旨の案内も出している。中津川で折り返しとなる列車が運休したためだろう。もっとも、正規のダイヤでも瑞浪駅のこの時間は名古屋行きはもうない。お祭りがあったのか浴衣姿の女のコがちらほら見えるが、帰りそびれたのか、あちこちでたむろしている。ホームに腰掛けて足を線路の上でぶらぶらさせていた男女3人組に駅員が大声で注意していた。

さて、1年前の東北のりつぶし旅行で”卒業”したはずの徹夜徒歩行である。20kmの長丁場に備え、コンビニ弁当で腹ごしらえをして、いざ出陣。真っ暗な県道20号線を明智(恵那市)目指して歩き始めた。今回はウォッちずで該当する付近の2万5000分の1の地図をダウンロード、印刷しておいた。そのため道順に関しては迷う心配はなかったが、誤算だったのは標高。ひたすら上り坂が続き、行けども行けども平坦にならない。それもそのはず、これから乗ろうとする明知鉄道は急勾配上に駅を設けるなどほとんど登山鉄道。その”山上”駅(明智駅)に”麓”駅(瑞浪駅)から行こうというんだから当然といえば当然であるが。国道363号に入ってもやはり上りは続き、もうほとんどあえぐようにしてひたすら峠のサミットを目指す。ようやく越えたと思ったらそれまでの上り坂の疲れと時間(午前3時)が時間であることもあり、眠気がどっと襲ってきた。下り坂は居眠り運転ならぬ居眠り歩行(千鳥足?)をしながらひたすら先を目指す。
 

 

4時15分頃明智駅到着。1時間近く苦しめられた睡魔はこのころになるとすっかり影を潜めていた。駅の待合室には鍵がかかっている。仮眠の予定を変更して、駅近くのトイレで髪を洗い、顔を洗い、歯を磨き、ひげをそり、体をタオルで拭き、着替える。次第に空が白み始めてきた頃、駅員さんがやってきた。「お、ずいぶんと早いねー」気さくに声をかけてきた彼だが、まさか瑞浪から5時間かけて20km歩いてきた後とはつゆほども思っていないだろう。こうしてやっとの思いで乗車した明知鉄道だが、ほとんど景色は覚えていない。

 

きしめん\440
 

名古屋コーチン(駅弁)\880
まず名古屋の東のローカル線を片付け、恵那からJR中央本線で名古屋へ。きしめんを食し、あおなみ線へあいさつを済ませたあと、北のローカル線に乗るべく大垣へ向かう。30分ほど時間があったので駅前をぶらついていたら「水まんじゅう」ののぼりとともに涼しげな光景が目に付いた。そう、大垣は水の町。たしかこれは市の名物だったはずだが、大垣を通るのはいつも朝か夜だった(「ながら」がらみ)ので、食すことができなかった。よし、これを食おう。店内でゆっくりと一皿頂く。
 
 

 
 

水まんじゅう\230
樽見鉄道はロングシートであった。ここで駅弁を食べようと思ったが断念。この車両は沿線住民の募金によって最近シートの布の張替えを行ったようで、そのことが載せられた新聞記事が車内にも掲示されてあった。その樽見鉄道、最近は貨物の減少で存続が危ぶまれているとか。終点樽見からは徒歩数分のところに淡墨桜がある。次はぜひ桜の季節に訪れたいものである。行きとちがって帰りは途中から高校生でかなりの混雑を見せた。
 最後に名古屋南西のローカル線に乗るため再び名古屋へ。名古屋から快速「みえ」で松阪を目指す。松阪からは今回の旅最後のハイライト、名松(めいしょう)線である。1日わずか8往復、やや中途半端な時間とはいえ、1両編成であるが1ボックス(4人分)占拠できるほどの乗客しか乗っていない。よくぞ旧国鉄末期のローカル線廃止の嵐から生き残った、という感じ。当時の廃止基準の中に特例として”並行する道路が未整備の場合、廃止しない”というのがあったが、これに該当したのか。そんな思惑をよそに列車はのんびりと田園地帯を進んでゆく。線内唯一「みどりの窓口」のある家城(いえき)駅を過ぎると沿線はいよいよ山深くなる。「美杉村」とはよく付けられた名前だと実感。
 途中ぽつぽつと乗客が降りていき、最後はやはりっぽい人たちばかりになる。16時27分、終点伊勢奥津(おきつ)着。5年ほど前に一度通ったことがある駅だが、大きく変わっていた。小ぎれいにはなったが、なにか地域福祉センターなる建物の付属物、オマケに成り下がった感じである。これが時代の流れなのかもしれない。が、ホームのはずれにはSL時代に活躍したであろう給水塔が今もそのまま残っていた。そのすぐ手前で線路は終わっている。線名の由来である名張まで、この先レールが延びることはもうあるまい。暑い暑いある夏の日の午後。車止めを見ながら、私も旅の終わりを感じていた。すぐ横ではディーゼルカーが折り返しの準備を整え、発車時刻を待っていた。

 

伊勢奥津駅
 
 

下関駅。朝5時半から営業していた。
敬意を表して1個購入。
注1:同じ電車でも九州と本州(の大部分)では大きく異なる。九州は「交流電化」方式で、架線に流れている電気は交流20000V、対する本州(西日本の大部分)は「直流電化」方式で、こちらは直流1500Vである。そこで九州と本州を結ぶ関門トンネル(正確には九州側の出口の外側)で両方式の切り替えが行われる。そのため(動力を持たない)貨車や客車を引っ張る機関車は門司以西では交流専用の、関門トンネルでは交流・直流両方に対応できる特殊な方式の、下関以東では直流専用の機関車が使用され、門司・下関で機関車の付け替えが行われる。ただし、場合によっては関門トンネル専用の機関車が九州内へ”出張”することもあり、今回のMLQはその例。
注2:「キク象ボックス」に投書したものの、その後音沙汰なし。どうやら黙殺されたようである。
注3:大阪万博(1970)と今回の愛知万博は「一般博」、沖縄海洋博(1975)、つくば博(1985)、大阪花博(1990)は「特別博」と位置づけられている。
注4:結局帰りの指定席は車掌から直接購入した。また、入場券は前述の友人より前売り券を手に入れていた。
注5:この窓には「調光ガラス」という技術が応用されている。これはガラスとガラスの間に挟みこまれた液晶のシートに、電気を流すと液晶分子の向きがそろうことにより透明に、電気を切るとばらばらになることにより不透明になる仕組み。
本ページにある地図画像は「白地図KenMap」を用いて作成しています。

旅データ


日程表(カッコ左は到着時刻、カッコ内は乗換駅、カッコ右は出発時刻)
05.8.4(木)(肥後大津)17:42 → 18:15(熊本)18:19 → 19:07(荒尾)19:10 → 20:25(博多)20:54 ―〔快速ムーンライト九州〕
  8.5(金)→ 6:41頃(大阪)7:14 → 8:36(米原)9:11 → 9:44(大垣)9:55 → 10:25(名古屋)10:36 → 11:03(藤が丘)11:12 → 11:24(万博会場)
(愛・地球博)
(万博会場)21:56 → 21:59(万博八草)22:07頃 ―〔快速エキスポシャトル〕→ 22:20頃(高蔵寺)22:30頃 → 22:53頃(瑞浪) ―(徒歩)→
  8.6(土)→ (明智)5:37 → 6:24(恵那)6:29 → 7:32(名古屋)7:50 → 8:14(金城ふ頭)8:21 → 8:44(名古屋)9:00 → 9:31(大垣)10:08 → 11:15(樽見)11:31 → 12:44(大垣)12:55 → 13:25(名古屋)13:30 ―〔快速みえ9号〕→ 14:35(松阪)15:14 → 16:27(伊勢奥津)17:13 → 18:32(松阪)18:36 → 19:18(亀山)19:25 → 19:51(柘植)19:54 → 20:44(草津)20:51 → 21:34(新大阪)22:01 ―〔快速ムーンライト九州〕
  8.7(日)→ 5:54(門司)5:58 → 7:51(二日市)7:53 → 9:51(熊本)10:05 → 10:37(肥後大津)

旅費内訳
青春18きっぷ(4日分使用)\11,500
 その他交通費\6,050
駅弁(2個)\1,380
 その他食費\3,215
宿泊費\0
その他\9,060
\31,205
(青春18きっぷ未使用分1日分除く)(\28,905)

乗りつぶし記録
会社名線名区間キロ数踏破率
JR名松線初乗車松阪−伊勢奥津43.5km全線乗車
名古屋市交通局東山線栄−藤ヶ丘11.6km初乗車68.0%
愛知高速鉄道東部丘陵線
(リニモ)
初乗車藤ヶ丘−八草8.9km全線乗車
愛知環状鉄道初乗車八草−高蔵寺13.4km29.6%
明知鉄道初乗車明智−恵那25.1km全線乗車
名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線
(あおなみ線)
初乗車名古屋−金城ふ頭15.2km全線乗車
樽見鉄道初乗車大垣−樽見34.5km全線乗車

 
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